2013年6月7日金曜日

Do as you would be done by.

タイトルは、高校生の頃に最初に覚えた英語のことわざ。

「人にされて嬉しい事をしなさい」
と言うような意味。


便箋や封筒、ポストカードといったものが大好きで、素敵なのを見つけるとすぐに買ってしまいます。
いつも持ち歩いている手帳の中には必ず何枚かのポストカードと50円切手が入っていて、ふと思いついた時にメッセージを書いて郵送したり手渡したりしています。

便箋とか封筒って不思議な買い物で、気に入ったから買うのに自分のものではありません。だけど色々眺めているのも楽しいし、素敵なのを見つけるとすごく嬉しい。
お手紙や葉書を出す相手は、決まって好きな人たちです。
自分の好きな人たちが、これを受け取って少し嬉しい気持ちになってくれたら私も嬉しい。


手紙や葉書って、出してから相手に届くまでに時間差があるのもいい。
相手がいつそれを読むか分からないし、もしかしたら何かの間違いで届かない事だってあるかもしれない。
それでもいいか、と気軽に出せるところも押し付けがましくなくていい。

返事が欲しい訳ではなく、ただ伝えたい事がある時があるのです。
願わくば、ちょっと喜んでくれたらいいな、と思いながら。





山猫団を通じて、たくさんのお手紙を書き、受け取りました。
案内状のおかえしに、とお手紙を持ってきてくれた人もいます。
そして、終演後にはアンケートではなくお手紙を書いてもらいました。
これも、公演の内容について感想が聞きたかったわけではありません。
どんな事を書いてもらっても良かった。
書きたい、伝えたいと思った事を好きなように書いて欲しかった。

そして、今さらにそのお返事を書いています。
はと画伯とああでもないこうでもないと言ってる間に、結局封筒を手作りしてしまいました。(そのせいで時間がかかりすぎ…終演してから1週間以上経っているのに、まだ発送までいたっていません)

ものづくりの基準になるのは、どんなものを受け取ったら自分は喜ぶだろうか?という事。こんな風になってたらかわいいよね、嬉しいよね、と言っているうちにどんどん手間がかかっていき、おかげでいつも大変な事になってしまいますが、作っている時はほんとに楽しいし、その「手間」が嬉しいものだと思うのです。


結局のところ、山猫団とは私がどのように他人と関わりたいのかを表したものなのだと思います。壮大な仕掛けのコミュニケーションツール。
基本は、一対一。
みんな、ではなく、あなたと。
あなたがどう受け取っても構わない。
でも、私はこれをあなたに受け取ってもらいたい、そして願わくば喜んでもらいたい。


絵や音楽やポストカードと言ったものは、家に持って帰って一人で眺めたり聞いたりする事ができる。
パフォーマンスはなかなかそうはいかない。
広い場所で、みんなで同時に同じものを見る。
でもそこを、なんとか個人的な体験にしたかったのです。
そのための仕切りであり、円形のステージであり、カーテンなのです。
同じものを見られる人は一人もいない。
見ているあなたを見ている人も誰もいない。

一億総評論家時代、何でもかんでも感想書いてシェアして…という時代に対する反発もあるかもしれません。
体験も感想も個人的なもので、どう感じたかなんてみんなそれぞれの自由。
全く同じように感じる人なんていません。
100人中99人が素晴らしいと言うものを楽しめない1人だっているし、その逆もあって当たり前。山猫団の公演を心から楽しんだ人もいるだろうし、全然つまらん、と思った人もいるでしょう。
ただ私たちはこれをいいと思う、こんなものが見たい、というものを最大限、できる限り形にしました。それをつまらん、と言われたら多少がっかりはしますけど、仕方がないな、と思うだけです。

楽しんだ人はその分お金を払ってね、というシステムも我ながらとってもフェアだと思っています。モノの価値なんて人それぞれ。同じ回で、1,000円払ってくれた人と10,000円払ってくれた人がいました。
1,000円にしたって、もっと払いたいけどこれしかないよ!という人もいれば、しぶしぶ1,000円置いていった人もいるかもしれない。
その人にとって1,000円がどういう価値をもつのか、それもわかりません。
私らはただ自分たちの良いと思うものをやるだけです。
喜んでもらえたらいいな、と願いながら。


今の私の夢は、いつか山猫団の公演を客席の後ろ、会場の隅っこからそっと眺めて一人でニマニマ喜ぶ事です。
私が喜ぶような公演を山猫団にやって欲しい。
そんな日が来るまで、せっせと山猫団を育てていきます。


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